ヘアメイクアップアーティスト
2025.5.23
#37 「メイクが苦手」からSABFAで人生激変――熱狂的な日々が良縁を引き寄せた。 KUBOKI(aosora所属)

【KUBOKI】
茨城県出身。美容サロン勤務、SABFA卒業後、ヘアメイクアシスタントを経て独立。タレントやモデルのメイクに加え、美容誌、イベント、テレビ出演、講師、連載など多方面で活躍。タレントやアスリートからの指名も多数。髪・肌・ボディケアなどの実用的なメソッドをYouTube「KUBOKI CHANNEL」で発信している。
―
「実はメイク、正直苦手だったんです」——そう語るのはKUBOKIさん。
サロン勤務時代の苦い経験から、SABFAでの再挑戦へ。学び直す中で得た技術や価値観、仲間たちとの刺激的な日々が、その後の飛躍につながっていきました。SABFA卒業後は、コレクションや美容業界誌での活動に加え、近年ではメンズビューティーの分野にも活躍の場を広げています。本インタビューでは、SABFAでの経験がどのようにKUBOKIさんの礎となったのか、そしてその後のキャリアをどう切り拓いていったのかを伺いました。
INDEX
ヘアメイクでも美容師でもなく、理容師志望だった
高校時代に通っていた理容室は、旧型バイクが飾られたお洒落なお店で、働いていたお兄さんもとてもカッコよかったんです。それに憧れて自分も理容師になろうと思いました。でも理容専門学校を見学してみると、思っていたイメージと違っていて……。「理容も美容も似たようなものだろう」と深く考えず、美容専門学校に進むことにしました。
ちなみに当時、「美容専門学校に落ちる人はいない」と言われていたにもかかわらず、僕は金髪で面接に行ってしまい不合格に(笑)。仕方なく夜間部に通うことに。昼間は美容室で働き、同級生にも中卒の人や家庭の事情を抱えた人が多く、みんな働きながら学んでいました。
僕は仲間の紹介で、板橋区高島平にある昔ながらの美容室で1年ほど勤務。豆ロットでパーマを巻いたり、何百枚ものタオルを毎朝洗濯したりと、本当にアナログなスタイルでしたが、ロールの使い方など、今の自分の技術の基礎になっています。

メイクの理屈が全くわからず「つまらない」と思っていた
美容師免許取得後、少し大きな美容室で働き始め、そこでメイクに出会いました。でもコンシーラーやアイブロウペンシルは男の自分には馴染みがなく、なぜ使うのかの理屈も分からない。面白さを感じられず、苦手意識を持っていました。
そんな僕がヘアメイクに惹かれたのは、友人に誘われてBC研(現ビューティークリエイションセンター )の作品展を見に行ったのがきっかけ。「こんな世界があるのか!」と衝撃を受け、SABFAの存在を知り、そのまま勢いで受験したものの不合格……。でもその悔しさが僕の心に火をつけました。漫画家の友人に絵を習い、美術館でアートに触れ、苦手だったデッサンやコラージュを克服。翌年、合格することができました。
SABFAの濃密な1年が、人生の大きな転機に
当時のSABFAは週3~5 日みっちり講義がありましたし、課題も多く、本当に忙しかったです。僕が在籍していた20期は特に仲が良くて、モチベーションも高かった。メイク自体はもともと苦手だったはずなのに、スキルが上達していくのを実感しましたし、「アイブロウってこういうことか」「コンシーラーってこういう使い方があるのか」といつも新鮮な驚きがありました。
広告のアートディレクターが担当した授業も印象的でした。それまで「どう仕上げるか」にしか意識が向いていませんでしたが、「何を伝えたいか」「どんな世界観を作りたいか」といった視点を学んだことで、「メイクは広告の一部であり、全体のコンセプトとつながっている」と理解できたんです。
そのほか、新潟のトリエンナーレや写真展に足を運び、自分の興味の幅も広がっていきました。今でも、あの1年が人生の大きな転機だったと強く思っています。

卒業後はノープラン……仲間に助けられて仕事を見つける
ただ、僕は目の前の学びに夢中で、卒業後のキャリアを全く考えていなかったんです。今みたいにSNSもない時代だったので、ヘアメイクの名前が載っている雑誌を片っ端から電話して、「アシスタントを募集してませんか?」と聞いて回りました。ところが、「うちのどこがいいと思ったの?」と聞かれても、うまく答えられず、当然相手も戸惑いますし、僕自身もどうしていいかわかりませんでした。
それでも、1日だけアシスタントとして働いてみる機会を何度かいただきました。そこから正式採用されることはなかったものの、その現場でフォトグラファーのアシスタントをしている人たちとは、妙に気が合ったんです。仕事が終わった後に飲みに誘われたりして。すると、フォトグラファーのアシスタント仲間が「あの人が今アシスタントを探してるらしいよ」と情報をくれたりするんですよ。ただ、最初に入った現場は昭和的なパワハラ気質。色々あって3カ月でクビになりました。 「この業界でやっていける自信がない」と感じていた矢先、有名なヘアメイクさんが日本で仕事を増やすという話を聞き、すぐに連絡。面接を経てアシスタントになることができたんです。
海外で長く活動されていただけあって、スタッフを一人の人間としてきちんと尊重してくれる方でした。コレクションのバックステージや様々な現場に同行させてもらい、和装の撮影やビューティー系の仕事も経験。そうして4年間みっちり学んだ後、ある日、師匠から、自分の作品を「いいじゃん」と認めてもらえたので、そこから「卒業」の話を切り出しました。
メイクの前に、まず場をつくる
卒業後に所属したヘアメイク事務所「Three PEACE」には15年在籍。最初に声をかけてくれた雑誌は『VOCE』(講談社)でした。小さなページから始まり、ギャル誌まで、どんな仕事も「やります!」と引き受けていました。そこからさらに声をかけてくれるカメラマンさんや編集さんがいて、まさにいろんな人に引っ張り上げてもらいました。「こいつ、がむしゃらで面白いな」って思ってもらえたのかもしれません。
ヘアメイクアップアーティストは、メイクは上手くて当たり前です。アシスタント時代に学んだのは、「メイクをする前に場を整える」こと。女優さんにとって、撮影は映画やドラマのオフの日に行われることが多く、体力的にも精神的にも余裕がない状態。だからこそ、先回りして空調を調整したり、ドリンクを用意したり。気遣いでその人の心を整え、ベストな状態に導くのがヘアメイクの仕事だと思います。
言葉がけ一つで空気が変わる。最初は静かに、少しずつ距離を縮める。あえて変なことを言って笑ってもらえたら、場が和む。それが僕のやり方です。年齢を重ねた今、「メイクの前にまず場をつくる」という意識は、ますます大事だと感じています。それがあるからこそ、今も指名で仕事をもらえているのかもしれません。

働き盛り30代、40代男性の美意識をアップデートしたい
SABFA時代に少し話を戻すと、最後の卒業制作で、僕だけがメンズモデルを選びました。昔から男性のヘアメイクに興味があったんです。
それから随分経ってからですが、僕も父親になり、雨の日に子どもを連れて行った屋内施設で、壁際にぐったり座るお父さんたちを見て、「この人たち、めちゃくちゃ疲れてるな」と思ったんですよね。自分も含めて、40歳前後の男性には疲れが顔に出ている人が多い。でも、整えることで気分が変われば、仕事もプライベートも前向きになれる。仕事もうまくいくし、子どもから「パパ、かっこいい」と言ってもらえるかもしれない。そんな思いで、メンズ向けのYouTubeを始めました。
僕のチャンネルが主に30代、40代にフォーカスしているのは、この年代が一番必要としていると思ったからなんです。20代の若い男性たちは、韓流ブームの影響もあって、わりと抵抗なく日焼け止めを塗ったり、リップや軽いメイクに手を出し始めていますよね。脱毛だって普通になっている。
だけど、30代・40代は、加齢や衰えが如実に出てくる一方で、どうケアすればいいのか分からない。いいコスメやケア用品はいくらでもあるのに、学ぶ場や情報が少ない。だからこそ、「まずはYouTubeで情報発信してみよう」と思いました。「ちょっと試してみようかな」と思えるような、心理的なハードルを下げることが大事だと考えています。
KUBOKIの座右の銘
「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」です。この成語は、苦労や辛い経験を耐え忍びながら、目標を達成するために努力するという意味をもちます
僕の人生は人に助けられた人生です。でも、助けを期待していたわけではなく、本気で取り組んだ結果として、振り返ってみたら「いろんな人に助けられていた」と気づくことができたんです。
本気で努力しても報われない人もいる。だからこそ、僕は本当に恵まれていたと思います。

一覧をみる
SHARE