ヘアメイクアップアーティスト
2025.1.16
#34 SABFAで学んだ美の原理・原則と心構えが、私を支える揺るぎない土台 ~SABFA アドバンスメイクアップコース担任 三島裕枝~
【三島 裕枝】
北海道札幌市出身。札幌理美容専門学校卒業後、2000年資生堂美容室に入社。資生堂ヘアメイクアップアーティスト。PRIORの商品開発・宣伝広告のヘアメイクをはじめ、国内外のコレクションを担当するなど、幅広く活動。また、大人世代に向けた美容情報発信や、メイクソフトの研究に携わる。ヘアメイクアップスクールSABFA講師やセミナー講師としても活躍。
「もうヘアコンテストで負けたくない」――。そんな強い思いでSABFAの門を叩いた先にあったのは、厳しさの中にも温かさが息づく学びの場でした。資生堂ヘアメイクアップアーティストとして活躍する三島裕枝は、「SABFAで培った基礎技術と審美眼こそが、現在の自分を支える揺るぎない土台である」と語ります。ここでは、彼女が歩んできた軌跡をご紹介します。
INDEX
テレビドラマへの憧れが導いたヘアメイクへの道
私は典型的なテレビっ子で、友達と一緒に90年代アイドルのWinkの振付けで踊ったり、「昨日のあれ見た?」とバラエティー番組の話題で盛り上がったりする子どもでした。小学生のころは柔道のアニメ『YAWARA!』の影響で柔道も習っていたんですね。吹奏楽部に所属していたのに、柔道の中学大会に出場して地元の札幌市で2位になったことも。生まれつき体幹が強く、向いていたようです。
テレビドラマも大好きで、テレビ局のヘアメイクが登場するドラマを見ていました。私には10歳年上の兄がいて、東京でテレビタレント さんのマネージャーをしていたんですね。「テレビ局とかでヘアメイクとして働くにはどうしたらいいの?」と相談したら「みんな美容師免許を持っているよ」と言われたんです。それがきっかけで美容専門学校に入学することに決めました。学生時代は「ヘアメイクも着付けもやりたい」とよく口にしていたため、先生が「いろいろなことに挑戦できるのは資生堂の美容室がいいよ」と教えてくれました。こうして地元・札幌の資生堂美容室へ就職することになったのです。
「資生堂美容室の三島、スケルトン1位」北海道新聞の紙面に載る
アシスタント時代、先輩のお客さまにボブスレー選手がいて、「体幹が強そうだし、スケルトンに出てみない?」と誘われたことがあります。ちょうど休日だったので軽い気持ちで参加したところ、周りは本格的な競技用ウェアなのに、私はスノーボードウェアに借り物のフルフェイスヘルメットで挑むという“素人丸出し”な状態。それでもスタート地点で背中を押されるままサーッと滑ったところ、まさかの優勝を果たしてしまったんです。北海道新聞には「資生堂美容室の三島、スケルトン1位」と掲載され、店長から「マジか!トロフィーを持ってこい!」と声をかけられる始末。ヘアコンテストのトロフィーが並ぶ棚に、なぜかスケルトンの優勝トロフィーが鎮座するという不思議な光景が生まれました。
この体験は、思わぬかたちで体幹の強さを証明するエピソードになりましたが、今はメイク時に背筋を伸ばし、安定した姿勢を保つのにも役立っています(笑)。資生堂美容室時代は先輩や上司にも恵まれ、スタイリストとしてお客さまとの信頼関係を築きながら、充実したサロンワークを送っていました。
資生堂の理論と技術、卒業後の心構えを学んだ一年間
サロンワークが楽しい一方で、コンテストでなかなか結果が出せず、もどかしい思いを抱えていた時期もありました。北海道で勝てても東京で結果を残せないことに悩んでいたのです。そんなとき、資生堂美容室内の全国ヘアコンテストで優勝するとSABFAで1年間学べるという制度が誕生。絶好のチャンスだと思い出場し、自分でモデルさんのヘアメイクを手がけ、衣装も用意。またウィッグでカットスタイルを作り、「これが私の全力です」とプレゼンしました。その結果、念願の1位を獲得。SABFA入学の権利を手にしたのです。
SABFA時代は、ほとんどの時間を同期と一緒に過ごした記憶があります。同期の実家が練習場付きの美容室を経営していたので、その場所を借りて、一緒にご飯を食べながら練習していました。本当に365日のうち360日くらい美容漬け。資生堂が長年培ってきた理論や技術、特に色彩や黄金比といった美の原理原則、そしてヘアメイク技術の体系的な学びが、今でも私の創作や提案の基盤になっています。今でも何かをクリエーションするときに、そこに立ち返ることができるんですよ。「先生があのときこう言っていたな」と。私の担任の先生はすごく厳しい方で「外に出たらもっと厳しいことが待っている」と教えてくれました。現場を知る人ならではの言葉だと思います。一つの作品を作るにしても、所作や道具の扱いまで細かく指導されて、精神的にも鍛えられました。
美の巨匠、マサ大竹の鞄持ちを通じ学んだ「審美眼」
SABFAを卒業後も、どうしてもヘアメイクアップの腕を磨きたいと思い、美容界の第一人者であり、現在は資生堂学園理事長を務めるマサ大竹先生に「アシスタントをさせてください」とお願いしました。大竹先生から教わった一番のことは「審美眼」、つまり美しいものを見る目を養うことです。特に「誰が見ても美しいと思えるバランス」を追求する視点を教えていただきました。アシスタントを始めてから3年ほど経ったとき、資生堂ビューティークリエーションセンターのメンバーとして「三島を出向できないか」という話が出たんです。「私でいいんですか?」と驚きましたが、大竹先生のアシスタントをしていた経験や、ニューヨークコレクションのメンバーとして参加した実績を見ていただいていたことが背景にあったのだと思います。
ヘアメイクアップアーティストの駆け出しの頃から徐々に強みを見つけていき、大人の女性に対するヘアメイクや、和装に関する技術を深めていきました。和装については、サロンで働いていたころから、婚礼などの「特別な瞬間の美しさ」を仕上げることが好きで、その仕事自体がモチベーションの源でした。大竹先生から教わった美しさを追求する姿勢は、今でも着物のヘアメイクを仕上げる際に活きています。
資生堂理論を活かした大人女性メイクアップ
大人女性のメイクに注力するようになったのは、先輩の異動がきっかけでした。先輩に代わって資生堂ブランドの大人向けライン「PRIOR」の宣伝の仕事を担当することになり、さらに当時PRIORのミューズだった、女優の宮本信子さんのヘアメイクを担当することに。それから大人女性の肌や髪質、さらには加齢に伴う変化についての研究をするようになりました。
たとえば、大人になると「影」ができやすくなるのと「血色感」が失われがちになるんですよ。そして「線」が弱くなる、言い換えると顔立ちの輪郭やパーツがぼやけて見えるようになる。この影には、ハイライトや明るめのコントロールカラーで調整して血色感を足します。さらに、眉やアイライン、リップラインをしっかり描くことが重要です。線をくっきり描いて、バランスを保つことで、メリハリ感を得られるんです。これら三つを整えることで、大人女性に生き生きとした印象を与えられるようになります。
これらは、長年にわたって資生堂の先人たちが築いてきた理論があってこそ。私は伝統を守りつつ、現代のニーズに合わせたアウトプットを心掛けています。そして、講師として後進へその理論を伝えることは大きな責任であり、尊いミッションと感じています。
座右の銘は「人生を面白がる」
子どもが生まれ、すべてを完璧にこなそうとして心の余裕を失った時期がありました。そんなとき、テレビで拝見した樹木希林さんが「いろんなことを面白がりなさい」とおっしゃっていたのです。生きていれば、悔しいことも悲しいことも楽しいこともある。でも、それらをすべて「面白がる」くらいの心の余裕が必要なのだと気づかされました。
産休中余裕のない時期には、宮本信子さんからわざわざお電話をいただき、「三島さん、戻ってくるのを待っているわよ」と声をかけていただいたこともあります。その一言は胸がいっぱいになるほどありがたく、泣いてしまいました。
正直、いつでも何でも「面白がる」のは難しいものです。それでもその気持ちを大切にしようと決めてからは、忙しい日々を前向きな姿勢で過ごせていると感じます。
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