SABFA magazine

ヘアメイクアップアーティスト

2024.11.18

#29 普通だった私が、SABFA経由で世界の美の最前線へ ~ヘアメイクアップアーティスト 服部未央~

【服部未央】
東京都出身。早稲田美容専門学校卒業。地域密着型ヘアサロンに勤務の後、SABFAに入学。卒業後は同じくSABFA卒のヘアメイクアップアーティストのアシスタントを経て、フリーランスの美容師&ヘアメイクアップアーティストに。アメリカの永住権を獲得したことをきっかけに渡米。現在は世界的なヘアメイクアップアーティストのアシスタントとして、世界の美の最前線を飛び回っている。

世界の美とファッションを改革してきた超有名ヘアメイクアップアーティストのアシスタントとして、世界4大ファッションショーの舞台裏で活躍している服部未央さん。幼少期から現在に至るまでの歩みとSABFAで学んだことがどのように活かされているのか、お話を聞きました。

校則が厳しい中高一貫校の反動で美容専門時代に弾ける

子ども時代の私は、友だちと公園で遊ぶことや、マンガを描いたり、編み物をしたりするのが好きな普通の子どもでした。模写をしたり、手を動かして何かをつくったりすることが好きでしたが、何かが特別に秀でているわけでもなかったと思います。実家が美容室だったので、美容師の母が働く姿を間近で見ていました。高校の進路選択のときには、自然と美容師の道を選んでいました。心のどこかで母に憧れていたからだと思います。

中学高校時代は校則が厳しくスカート丈はひざ上NG、ソックスは学校指定のもののみなど、いろいろな縛りがありました。その反動からか、美容専門学校に進学後は弾けてしまいまして(笑)。当時はハイテクスニーカーに古着を合わせたりするY2Kファッションの時代です。お金がなかったので安い古着を組み合わせるなどして工夫しながら、自分なりに攻めたファッションをしていましたね。

専門学校卒業後は、地元のサロンで働きました。6人くらいの小さなお店です。カリスマ美容師を目指して有名店を目指す友だちも多かったのですが、私はオーナーの人柄重視でサロンを選びました。そこで大体6年ほど働き、たくさんのお客さまにも恵まれました。

将来の方向性を探っていたとき、SABFAと出会う

美容室を辞めるきっかけになったのは、同期がウエディングのヘアメイクスクールに通い始めたことです。ちょうど私も、美容師として新しい方向性を探っていたところだったので興味を持ったんですよね。専門誌を読んでいるときに偶然SABFAの広告を見つけて、「ここで学びたい!」と思いました。他のヘアメイクスクールと比べて、講師も卒業生もカッコいいし、資生堂の学校という安心感もあったからです。

SABFAでは1年間のビューティークリエイターコースに入学しました。当時は倍率が高く試験を突破するだけでも大変でした。まわりの受験生のセンスに圧倒されながらも、なんとか入ることができたという印象です。入学後はシニヨンの試験がなかなか受からず、苦労した思い出があります。1発で合格する同級生もいるのに私は5回くらいテストしてようやく合格したから、実力不足を感じて焦っていましたね。同期の仲間とどこかに集まって練習したり、課題をつくったりしていたことが懐かしいです。ちなみに、SABFAの学生の中では、成績は真ん中くらいで、特に目立つタイプではありませんでした。

グリーンカードに当選し、人生が激変

卒業後は、同じくSABFA卒業生の先輩ヘアメイクアップアーティストのアシスタントになりました。ファッション雑誌のクレジットを見て、編集者に連絡し、紹介してもらったことがきっかけです。私もファッション系の仕事をしたいと思っていたんですよ。弟子入り後は、先輩についてまわりながら、モデルや女優さんのヘアメイクアップを経験。3年後に独立し、個人事業主として業務委託の美容師とヘアメイクアップアーティストの2足のわらじの生活をスタートさせました。

いつか海外で仕事をしたいという想いを持ち続けてきたので、何年間かグリーンカードの抽選に応募していたんですね。グリーンカードは、ご存じの通り、アメリカの永住権のことです。宝くじと同じくらいの当選確率なのですが、奇跡的に当選したんですよ。それを機に憧れていたアメリカのファッションの中心地、ニューヨークに飛びました。

ニューヨークで仕事を始めたくても、まずは住むところがないと雇ってもらえません。情報掲示板で一時的に住むところを決め、そこを拠点に家を探し、その後に仕事を探しました。現地の日本人コミュニティに助けてもらい、美容室でアシスタントをしながらヘアメイクアップの職を探しました。ニューヨークに来たばかりのころは、現地のSABFA卒業生のネットワークにも随分救われましたね。全く面識がなくても、SABFAを出たというだけで、お互いに安心して信頼関係を築くことができるんですよ。

そして、たまたま情報掲示板を見ていたとき、ヘアメイクアップアーティストのアシスタントの仕事を見つけたんです。そこで応対してくれたのが、世界で10本の指に入るヘアメイクアップアーティストのファーストアシスタントの方だったんですよ。人生の分岐点になりました。

言葉の壁はあるけれど、最善を尽くせば信頼を得られる

世界的なアーティストのもとで働くチャンスを得たものの、最初のころは大変でした。まず何をしゃべっているかもわからず、言葉の壁の洗礼を受けました。コーヒー一杯もまともに頼めない状況で、何度も心が折れました。

でも、英語が苦手だからこそ、別のところで頑張ることにしたんです。たとえば、必要なものを運んだり、掃除をしたり、整理整頓したり……は英語が苦手でもできます。ヘアメイクアップアーティストがよく使うもの、使うのが好きなものなども、全て写真にとってどこに入っているのかわかるようにしました。ヘアメイクアップアーティストの仕事道具置き場には、バッグが50個くらいあるんですが、何がどこに入っているのか把握しています。とにかく、自分ができることで最善を尽くして、信頼を獲得していきました。

今ではニューヨーク、ロンドン、パリ、ミラノ、バルセロナ、上海など、世界のコレクションにも同行しています。私の仕事は、デザイナーとヘアメイクアップアーティストの要望を汲み取って、設計図に落とし込み、メンバーに指示を出したりすることです。

ブランドのショーをつくるときには、まずブランドのデザイナーさんが考えているショーの方向性を聞きます。幻想的なオートクチュールの世界をつくりたいので、肌を陶器のようにツルツルに見せたいとか、いろんな要望があるんです。

はっきり言って、簡単に叶えられる要望はありません。無理だと思うものを実現させていくことが仕事です。メイクの道具だけではなく、求める質感を出すためにまったくメイクと関係ないようなものも買いに走ることも。毎回、新しいヘアメイクアップに挑戦するので、一般的なメイクで使う道具以外にも使えるジェルや塗料などの素材も頭に入っています。

服部さんご提供

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みんなで知恵を絞り、無茶振りオーダーにも応える

同じカンパニーに所属しているアーティストたちはみんなSNSが大好きで、いつも何か新しいデザインや質感がつくれないかどうか探しています。そして、ショーの直前にみんなで研究して、練習して、本番を迎えます。みんなでアイデアを出し合い、いいものを出せたときの高揚感がとても刺激的です。 一見、無茶振りのようなオーダーに、チームで力を合わせて応えられたときは特にうれしいですね。

お話してきた通り、私は飛び抜けてセンスがあったり、器用だったりする人間ではありません。普通の美容室で働いていた本当に何もない自分がSABFAに入り、技術や知識を身に着け、SABFAで出会った人たちのネットワークのなかでキャリアを築くことができました。

だから次は私が、SABFA卒業生が海外で働きたいときに、サポートしたいと思っています。日本人のヘアメイクアップアーティストは重宝されやすいので、活躍の場を紹介することができます。助けが必要なときはぜひ声をかけていただきたいです。

座右の銘「笑顔は世界の共通言語」

どこに行ってもまず自分から笑顔で挨拶することを心掛けています。英語がまともに話せないときも、笑顔で挨拶したら相手も笑顔で返してくれるものです。ブスっとしていたらそれなりの反応になると思うんですよね。

自分から挨拶することは緊張しますし、「相手に無視されたらどうしよう」と今も思うことがあるんですけれど、自分から挨拶すれば何かしらのリアクションをもらえます。言葉を満足に話せなくても、笑顔が人間関係をつくってくれるんですよ。


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