ヘアメイクアップアーティスト
2024.7.12
#28 夢を叶え2度のニューヨーク駐在…美の最前線で生き抜くために必要なもの ~資生堂トップヘアメイクアップアーティスト 武田玲奈~
【武田玲奈】
資生堂トップヘアメイクアップアーティスト。2013年に渡米し、ニューヨークを拠点にVOGUE Japan、VOGUE Germany、Harper’s BAZAAR、ELLEなどのファッション誌でメイクアップを担当するほか、NY、パリファッションウィークでのリードメイクアップアーティストを務め、世界トップクラスのフォトグラファーやスタイリストと協働。2009年以降、グローバルブランド「SHISEIDO」のメイクアップアーティストとして活動し、元アーティスティックディレクターのディック・ページ氏に師事。2018年にローンチした「SHISEIDO MAKEUP」では、ブランドストラテジー、色調提案全般に携わる。素肌や素顔が美しく見えるナチュラルメイクや、カラーや質感を大胆に使ったスケール感のあるメイクが得意。
10代からの夢を叶え、世界的ヘアメイクアップアーティストに師事し、2度のニューヨーク駐在経験も持つ武田玲奈。世界88カ国で展開するグローバルブランド「SHISEIDO MAKEUP」のリブランディングという大仕事を経て帰国。海外のヘアメイクアップ事情やコレクションメイクに精通しているSABFA講師の顔も持っています。彼女はなぜヘアメイクアップアーティストの道を選んだのか。そして、2度のニューヨークの駐在経験でどのようなことを学んだのか語りました。
INDEX
両親の美容室は、新進気鋭のクリエイターの社交場だった
私は原宿で美容室を経営している両親の元で育ちました。男性美容師が珍しい時代から父は美容師で、母は美容師でありヘアメイクアップアーティストです。
美容室は社交場のようになっていて、新進気鋭のクリエイターもよくお見えになりました。子どもながらに「面白い人たちだな」と感じていたんですよ。美容室の子どもですから、店のお手伝いもしていて、お客さまからチップをもらったこともあります。お金をいただいているのに「ありがとう」と言ってもらえるし、美容の仕事をしている両親も楽しそうだったので10代のころには美容の道に進むことを決めていました。
Vogueや海外のファッション誌も身近にあり、90年代のニューヨークのファッションウィークを見て、いつかニューヨークで活動したいと思いました。ちなみに、私の父もニューヨークで働いていた経験があります。杉本博司さんや篠原有司男さんなどの日本人アーティストが、父と同時期にニューヨークに渡って活躍していることも知っていましたし、海外で働くことを特別なことだと思っていなかったんですよ。
10代のとき「資生堂でヘアメイクアップアーティストになる」と決めた
高校時代には資生堂に入ることを決めていました。憧れていたヘアメイクアップアーティストのディック・ページと、フランソワ・ナーズが二人とも資生堂と契約していたからです。90年代後半にNo-Makeup Makeupというメイクをしているように見せないメイクアップが一世を風靡。ディック・ページはNo-Makeup Makeupで注目された一人でした。将来は彼から学びたいと思い、資生堂に入る目的で資生堂美容技術専門学校に入学しました。
ただ、学校にはなかなか馴染めなかったですね。両親とその仲間にも感化され、かなりリベラルに育っていたし、高校時代も授業の一環でディベートをするような学校だったので「主張が強い」と思われていたようです。1年生のとき「あなたは自分の意見が強い。学校のスタイルもあるからそれを理解して2年間を過ごしてください」と言われてしまいました(笑)。
卒業後は当時の資生堂ビューティークリエイション研究所付属の美容室で修行し、そこでスタイリストになったのち、ヘアメイクの部署に異動。ちょうどそのころ、資生堂のTSUBAKIが発売時期で、現SABFA校長の計良とSABFA講師の篠塚と一緒に連日撮影をしていました。
やがて資生堂のメイクアップブランドを担当するようになり、商品開発や広告のヘアメイクを経験。2009年のタイミングでグローバルブランド「SHISEIDO」の担当になり、ディック・ページのチームで活動することに…! 10代からの夢を叶えることになったのです。
日本の200日より、10回の海外出張のほうが価値ある学びがあった
ディック・ページが担当している資生堂の広告や、ニューヨークとパリのファッションウィークなどで、彼のチームに入って一緒に活動しました。年間10回くらい海外出張をして感じたのは、日本で過ごす200日より、10回の海外出張のほうが価値ある学びが多いこと。「環境を変えなくてはいけない」と思い、海外駐在を目指しました。
その願いが叶い、2013年から2年間、ディック・ページのアシスタントとしてニューヨークに駐在しています。ただし、海外で仕事をするために子どものころから英語を勉強するなど、精一杯の準備をして臨んだつもりでしたが、プロの世界では通用しませんでした。
ディック・ページはイギリス英語でとにかく早くしゃべるので聞き取るのが大変。しかも、仕事に厳しく、指示通りにできなかったらクビ。ただ、「もしクビになったとしても全てを吸収してから帰ろう」と決意していました。そこでどうやって私が生き抜くことができたのか、今振り返ると不思議なくらいです。
「私は何者なのか」それを語れない人間は相手にされない
ニューヨーク駐在1年目は、自分のアイデンティティについて深く考えさせられました。自分は何者で、どんな強みがあるのか。それを言語化できないと存在を忘れられます。「ナチュラルメイクができます」と言ったとき、「そんなの誰でもできるから強みにならない」と言われたことも強烈な体験でした。
第一線で活躍するアーティストは、自分が何を追求してきたのか、自分の強みが何なのか掘り下げて、強みを存分に発揮できるところで輝いているのです。ニューヨークでは作品をつくる上で最適なヘアメイクアップアーティストは誰か、という視点でキャスティングをしています。シンプルでミニマムなスタイルの人は、ゴージャスな表現を求められる場には呼ばれない。その逆もまたしかり。自分のブランディングが明確でないと、選ばれないんですよ。
そのような厳しい環境下で、ディック・ページのファーストアシスタントとして、SHISEIDOの仕事はもちろん、Vogueなどのファッション誌の撮影や、CELINEやHermèsなどのファッションショーを担当し、一緒にアウトプットできたことは、自信につながりました。
ニューヨークで「SHISEIDO MAKEUP」をリブランディング
2年間の駐在を経て帰国後、2016年から再びニューヨークに渡っています。2度目の駐在はグローバルブランドの「SHISEIDO MAKEUP」をリニューアルすることが目的です。開発拠点を日本からニューヨークに移すという一大プロジェクトであり、企画から販売までのプロセスを全て刷新するドラスティックなものでした。私は中長期的なマーケティング戦略立案フェーズから参画し、ブランドコンセプトや商品の企画開発、プロダクトのバリエーション展開などの提案をしました。
どんな人種にも使えるか、店頭でどのようなコミュニケーションをするのか、トレーニングではどのようなことを伝えるのかなど、ありとあらゆることを考えて、新しいブランドを自分たちでつくっていったのです。
「SHISEIDO MAKEUP」は88の国と地域でローンチするため、商品を店頭に並べるためには、5つの地域本社のGOサインが必要でした。たとえば、アジアは透明感のある明るい肌を良いものとして、欧米は日焼けした健康的な肌が良いものとするなど、文化や価値観が違うので調整がとても難しいわけです。当然、どちらかを切り捨てることはできないから、88の国と地域の最大公約数を探して試行錯誤をしました。「SHISEIDO MAKEUP」は2年間の試行錯誤の産物。帰国した今も世界中で美しさを引き出すブランドを追求しています。
世界に広がる卒業生のネットワークがSABFAの魅力
帰国後の役割の一つとしてSABFAの講師をしています。SABFAは熱意のある人たちが刺激を与え合う場所。貪欲に吸収し続ける人たちしかいないので、何かを得たときのリアクションも大きいです。個人的に意識しているのは、1回の講義のなかで5つは役立つエッセンスを授けること。担当しているのはコレクションメイクや海外のヘアメイクアップの話だから、すぐに役立つようには思えないかもしれないですが、サロンワークや国内のヘアメイクの現場でも絶対に活かせる要素を含ませています。
もし今、このインタビューを読んでいる人のなかに、SABFAに入学することを考えている人がいるなら、ぜひ5年後、10年後の自分の姿を想像してみてほしいと思います。今の延長線上で成長するのと、新しい環境で負荷をかけてSABFAでチャレンジするのと、どちらが成長しているでしょうか。
2013年の初回の渡米を決意するに至った、ひとつのエピソードをご紹介します。東京とニューヨークで活躍しているフォトグラファー土井浩一郎さんは、当時もう十分に成功にしていたのに、新たに大きなお金を投資してスタジオをつくりました。「今このままの生活を続けている自分と、スタジオを作って毎日毎日違うクリエイターと撮影して迎えた10年では、絶対に違う」と言っていました。大御所だって変わり続けているのに、私たちが変わらなくてどうするんだと思いましたね。
座右の銘は「あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」
心理学者アルフレッド・アドラーの「あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」という言葉を座右の銘にしています。ニューヨークで「SHISEIDO MAKEUP」のリローンチに向けてもがいているときに心にとめていた言葉です。
私は常に課題意識を持って「このままではいけない。何かを変えるべきだ」と考えるタイプの人間です。現状否定をするだけの評論家にならず、自ら率先して進んで行く突破力の助けになっていたのが、アドラーの言葉でした。現状を変えるために挑戦するときは負荷がかかります。けれど、そのとき最大の負荷をかけていくことが、変化を生み出すことにつながると信じています。
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