SABFA magazine

ヘアメイクアップアーティスト

2024.1.22

#21 SABFAの学びと悔しさが仕事に活きている ~ヘアスタイリスト 上野知香~

【上野知香】
大阪府出身。関西美容専門学校を卒業後、美容師として6年間勤務した後、ヘアスタイリストを目指して2015年に上京。SABFAビューティークリエーターコースでヘアメイクアップアーティストの基礎を学ぶ。卒業後の2016年3月から「KUNIO KOHZAKI」に師事し、アシスタントを務める傍ら、自身が参加する展示会を2度開催。2019年3月に独立し、以降はフリーランスのヘアスタイリストとして活躍。

三菱地所、ライザップ、LUMINEなどの大手企業の広告をはじめ、海外雑誌、ファッションショー、アーティストなどのクライアントワークを手がける一方で、自らのアートワークにも精力的に取り組んでいる上野知香さん。現在に至るまでの歩みとSABFAで学んだことがどのように活かされているのか、お話を聞きました。

幼少期からの髪への興味と美容業界への憧れ

私は幼稚園の頃から髪の毛に触れるのが好きでした。みんなは前髪を横に流していたけれど、私はセンターパートでニュアンスをつくっていたんです。鏡をよく見て、自分の顔と他の子の違いを考えたりしていたんですよ。「あの子がめっちゃかわいいのはどうしてかな? 目が違うからかな」「あ、二重にしたらめっちゃ印象が変わる」とか考えていたんですね。それが、私がヘアメイクアップに興味を持つことになった原体験です。

小学校の頃、昼のテレビ番組でやっていた「辛口ピーコのファッションチェック」を見ていると、コレクションのバックヤードを映す場面がありました。そこで、アーティストのみなさんの躍動感を感じて「かっこいい!」と思ったんです。「こんな仕事をしたい!」と感じたことを覚えています。

その後、冨沢ノボルさんの作品を見る機会があり、「もっと知りたい!」と思って調べるとアシスタントを募集していることがわかりました。でも、そこには、美容師経験3年以上と書かれていたんですね。それで、まずは美容師になろうと思い、関西美容専門学校に進学しました。学校選びの決め手は、採用試験の倍率が高く、指導が厳しいこと。そして、制服のサロペットがかわいかったことでした。

老舗美容室で鍛えられた後、SABFAへ

専門学校卒業後は、大阪の老舗サロンに就職しました。いきなり携帯を没収され、心も体も鍛えられる泊まりの研修がスタート。最終ゴールが、チームでコミュニケーションをとりながら作文をつくり、社長と専務の前で発表するという内容でした。これが厳しくてなかなか合格がもらえないんです。社長や専務が何を期待しているのかを上手く汲み取らないと前に進まない…。精神面でかなり鍛えられましたし、「何を求められているのか」を考える力がついたと思います。

美容師としての生活はかなり充実していました。お客さまの気持ちを汲み取るカウンセリングと、デザイン力があったので、たくさん指名をいただいていたんです。ただ、15分おきに予約が入るくらいの忙しさだったので、「ヘアメイクアップの世界から遠ざかってしまうかもしれない」という気持ちがありました。

美容室の縁で関西コレクションや神戸コレクションの手伝いをさせてもらい、SABFA卒業生のヘアメイクアップアーティスト三浦由美さんと出会いました。「ヘアメイクアップの世界に行きたいです」と相談すると、「ヘアメイクと美容師の業界は全然違うから、本当にやりたいのならよく考えたほうがいい」と言われたのです。

それで思い詰めたわけではないと思うのですが、しばらくして営業中に声が出なくなってしまいました。「これは美容師を辞めなあかんのかな」と思ってたんですよね。辞めるのは本当に辛かったですけれど、1年かけて大切なお客さまの引き継ぎをしました。三浦さんが学んだSABFAに入るためです。

卒業制作での苦戦と迷走を経て掴んだ未来への糧

卒業制作では苦労しましたが、SABFAのビューティークリエイターコースで学んだ1年間は、本当に楽しかったです。ファッションや造形、カラーやアート、そしてメイクもヘアも幅広く学ばせてもらいましたし、中身もすごく濃かったですね。提出課題には点数とコメントが書かれているのですが、指摘が的確すぎて「さすが資生堂…すごい!」と思いました。私も全力で課題に取り組み、クラスの中でトップクラスの評価をいただいていたんですよ。

ところが、卒業制作では思うように力を発揮できず、悔しい思いをしました。当時の担当は矢野先生で、提出した作品に対して「お前はもっとできるだろう」と言われ、奮起しました。最初はカラフルな作品だったのですが、徐々にモノクロに変わり、最終的に先生や同期から「上野さんがしたいことをやればいいんだよ」と諭される事態に。いつの間にか、自分が創りたいものではなく、先生たちからの評価を求めて迷走していたんですよね。

恐らく、先生はもっと自分がやりたいことを追求するようアドバイスをくれたのですが、当時の私はそれを理解できませんでした。頑固な性格で、先生を感心させたい一心で突き進んでしまったんですよ。最後の総まとめで、1年間の努力と学びの集大成を作る段階で「あんた1年間、何をしてたの?」と言われたような気分になりました。先生の真意はそこにはないのですが、その悔しさも今の自分の糧になっています。

仕事を掛け持ちしながら光崎邦生氏に師事

SABFA卒業後、自分の進路について悩む時期がありました。ファッションの仕事を目指していたのですが、ファッション系のヘアメイクアップアーティストは、ヘアかメイクのどちらか一方を専門にしていることが多いことに気づいたのです。どちらに専念するかを考えた際、私は3D空間で立体的な表現ができるヘアを極めたいと決意しました。ヘアスタイリストを探し、KUNIO KOHZAKI(光崎邦生)さんを見つけ、「この人から学びたい!」と感じました。彼は広告やファッション、アーティストのヘアメイクも担当し、どの分野でも尖っていたのです。

すぐに連絡を取り、彼のアシスタントになりました。最初は3人のアシスタントのうちの一人でしたが、次第に光崎さんのメインアシスタントに昇格。資生堂の撮影スタジオ「BEAUTY BOOST BAR & PHOTO STUDIO」や派遣美容師の仕事で生活費を稼ぎつつ、光崎さんの仕事を間近で見て学んでいきました。同時に、独立後に見せるためのポートフォリオを作成。自分の作品の方向性が見えたら卒業という感じだったのです。

そして2018年の忘年会の際、光崎さんから「仮卒」と言われました。「どういう意味ですか?」と尋ねたところ、「本当にたくさん協力してくれて感謝している。最後には、一番思い入れのあるメンバーと刺激的な仕事をしてほしい」と言ってくださったんです。感激しました。

どんな仕事でも目指すのは「完璧のその先」

独立後は、アシスタント時代に知り合ったフォトグラファーやメイクさんとのつながり、また光崎さんの奥さんからの紹介を通じて仕事をいただくことができました。現場で声をかけていただくたびに、必ず爪痕を残すことを心掛けています。例えば現場の空気をよくする努力や、かゆいところに届く提案を行いました。何よりも重要なのは、相手の気分を上げること。私が髪を扱うことで、どれだけ自信を持ってカメラの前に立ってもらえるかです。

もちろん、技術や仕上がりの完璧さは大前提。時間をかければ誰でも素晴らしい仕上がりにできるので、迅速に仕上げることも重要です。現場では、SABFAで学んだ色の使い方やバランスの取り方、質感へのこだわりなど、多くの教えが今も息づいています。先生が見せてくれた繊細な技術や質感の作り方も、現場で活用しています。そこから、どれだけ付加価値のある働きができるかが大切です。

幸いにも、仕事が仕事を産む好循環が生まれ、刺激的なプロジェクトに携わることができました。ライザップのCM、オルビスの化粧品広告、マクドナルドのCMなど、多くの人に見られる仕事に携わり、またアーティストの専属として活動する機会も増えました。現在の目標は、海外のアーティストと仕事をすることです。また、アシスタントを育成し、余裕を持ってアートワークにも取り組んでいきます。展示会をパリで開催することが夢です!

上野知香の「座右の銘」

私の座右の銘は「有言実行」です。これは一見簡単そうに見えて実践するのが難しいため、いつも心がけて生きています。仕事で爪痕を残し続けながら、海外アーティストとのコラボやアートワークの展示会など、言葉だけではなく実際に行動して、一つひとつ実現させていきたいです。
そして、私のモットーは「HAPPY♡」です。明るく元気にを忘れず日々精進します。


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