SABFA magazine

ヘアメイクアップアーティスト

2024.1.13

#19 技術習得は当たり前。人生の分岐点となる気づきや発見を。 ~SABFAアドバンスメイクアップコース担任 入江 広憲~

【入江 広憲】
1983年資生堂入社。日本を代表するヘアメイクアップアーティストである大竹政義氏の仕事を見てこの道を志す。資生堂内では、宣伝・広報活動を中心に、CMや雑誌撮影のヘアメイクを手がける。「SABFA」では講師を担当。社内外の美容師育成のため、全国で数多くのセミナーも担当。NHDK(美協日本ヘアデザイン協会)創作設定プロジェクト委員。

SABFAアドバンスメイクアップコース講師の入江 広憲は、1986年に創設されたSABFAの1期生の時代から、教育に携ってきました。まだヘアメイクアップアーティストという名前も定着していなかったころに、美容の世界に進もうと考えたのか。そして、SABFAの講師としてどのような想いを持って学生と向き合ってきたのか聞きました。2023年10月末に退職の入江 広憲から最後のメッセージです。

高校時代はバスケットボールに没頭

子どものころから運動馬鹿で、高校ではバスケットボールをしていました。大学にバスケットボール推薦で入って続ける話もあったんですが、苦しい練習が嫌いでしたし、文武両道でもなかったので「手に職をつけるしかない」と考えました。頭に浮かんだのは身だしなみやファッションに関する仕事。というのもバスケ部の先輩がみんなカッコよくて、試合中の乱れを気にするくらい髪型にもこだわっていたんですよね。私もその影響を受けていたのかも知れません(笑)。

今から45年以上前、男性の美容師は少なかったです。髪にかかわる仕事なら理容師より美容師だと思ったんです。ところが親父に反対されまして。1年半くらいは医薬品の卸の会社に勤めていました。先輩にも可愛がってもらい、仕事も遊びも楽しかったんです。一方で、先輩や上司のような生き方をしたいとは思えなかったんですよ。

あるとき、美容室で業界誌を読んでいたらマサ大竹さんが載っていたんですね。海外の大きなステージでヘアショーをやっているということで「こんな仕事があるんだ」と驚きました。「この人と一緒に仕事をするにはどうしたらいいですか?」とお店の人に聞くと、「資生堂の美容学校に入って頑張るしかないよ」と教えてくれたんです。すぐに願書を取り寄せて申し込み、会社も辞めて、次の年に資生堂美容学校(現・資生堂美容技術専門学校)に入学。

ちなみに当時は、募集人数に対して5~6倍近い応募があったんです。北海道から九州まで主要都市で試験がおこなわれるほどでした。特に男性は少数人でしたね。本当に狭き門だったんです。

師匠「マサ大竹」の背中を見て学んだこと

勉強が得意ではありませんでしたが、入学後は「みんなイチから美容を学ぶのだから何とかなる」と考えて一生懸命やりました。成績上位者が卒業後に大竹さんのいる総合美容研究所(現・ビューティークリエイションセンター)に入れると聞いていたので、授業には真剣に取り組み、幸いなことに総合美容研究所に入所。その3、4年後に大竹さんのアシスタントにつくことができました。

大竹さんに同行して、ファッション誌やコレクション、ヘアショー、『花椿』(資生堂の企業文化誌)の仕事など色々な現場に行きましたね。大竹さんの仕事を見て学んで、失敗もして、少しずつ自分の仕事も増やしていきました。なかなか上手くいかずに移動中のタクシーの中で落ち込むことも多かったですけれど。

師匠が大竹さんだったことは幸運だったと思います。大竹さんはいつもニュートラル。偉そうにするわけでもないし、甘すぎるわけでもなく、口うるさくもなく…コミュニケーション力に長けており、いつも現場は和やかでした。
また、大竹さんは、若者に対して素直に「教えて」と言える人でした。自分にはない若者の感性をリスペクトしていたし、好奇心もあったのだと思います。年下に聞くことに対して恥ずかしいと思わないのでしょう。私もその姿勢を大いに見習っています。

入江 広憲 提供

入江 広憲 提供

入江 広憲 提供

師匠のマサ大竹氏との2ショット(23年12月)
#20 マサ大竹MAGAZINE https://sabfa.shiseido.co.jp/magazine/2976/

人生の転換点となるような発見や気づきを与えたい

資生堂がヘアメイクアップアーティストを育成することを目的としてSABFAを立ち上げたのは1986年のこと。1期生には、川原 文洋、大久保 紀子、鎌田 由美子といった、業界に影響を与える卒業生を輩出していました。

担任として教える立場になったのは50代からですが、20代からSABFAで指導をしてきました。本当に色々な学生がいました。クリエイティブなコンテストで結果を出す人、アーティストとして飛躍した人、ニューヨークなど海外で活躍する人などいましたが、一番印象に残っているのは、30代後半の美容室オーナーさんです。

多分、SABFAに入るまではワンマンオーナーだったのでしょう。そんな雰囲気が伺えました。でも一人では限界を感じて、SABFAの門を叩いたのだと思います。先生は容赦なく指導をするわけで、課題も多く出ます。自分の美容室に戻っても練習をしていたのでしょう。あるとき、その学生が「最近、スタッフが声をかけてくれるんですよ」と言ったのです。きっと、オーナーの頑張る姿が、スタッフと打ち解けるきっかけになったのだと思います。
私はSABFAで技術を教えるのは当たり前のことだし、努力すれば誰でも習得できるものだと考えています。だからこそ、人生の転換点となるような発見や気づき、その人が持つ空気の変化を起こすきっかけづくりをしたいのです。

SABFAは美を志す人たちのサードプレイス

教育に携わるようになってから長いので、学生と朝の挨拶をしただけで心の状態がなんとなくわかります。「どうしたの?」と聞くと働いているお店のことで悩んでいたりする。そういう話を聞くことによって、少しでも心が落ち着いたらうれしい。卒業後に「あのときの一言に救われました」と言われるようなこともあります。

メンターとまではいかないけれど、心置きなく美と向き合うための手助けをしたい。学生を良い方向に導くことができたとき、講師としてのやりがいを感じます。自分が少しでも関わることで、心を動かすことができたのだとしたら嬉しいですね。

SABFAにできるのは、ヘアメイクの入り口の扉を開けるところまでだと私は思っています。そこから先は、本人の頑張り次第です。しかし、何かあったらSABFAのつながりを思い出してほしい。同僚や上司、オーナーに話せないことであっても、講師や仲間となら話せるという場合もあると思います。解決できるかどうかはわからないけれど、話はいくらでも聞けます。

普通に暮らしていたら絶対に出会わなかった人たちが、SABFAを介して出会うことができる。ここに価値があると私は思う。SABFAは美を学ぶだけではなく、自宅でも職場でもないサードプレイスだと思います。

座右の銘は「初志貫徹」

私は、自分がやりたいと思うことを納得いくまで突き通したいと思って生きてきました。そこに成功や失敗はなく、少なくとも諦めず続けている間は、失敗はありません。もちろん、失敗だと思う瞬間もあるのだけれど、やめなければ失敗で終わらない。納得できるまでやり通せば結果はどうあれ成功だと思います。私は自分にそれができていたかはわかりませんが、初志貫徹でありたいと思い続けてきました。

SABFAに入る人たちも志があるから、ドアをノックしてくれたのだと思っています。進みたい方向に向けて、舵を切ったということです。

色々と考えすぎると前に進めなくなります。だから、SABFAに興味があるのなら、まずはドアをノックしてほしい。必ず一定のレベルまで連れて行くことができますから、きっと新しい道が開けるはずです。同じ志をもつ仲間と出会うこともできます。人生は一生、勉強です。SABFAにはその土台となる学びと、切磋琢磨できる仲間、支えてくれる講師がいます。

2023年10月末で私はSABFAの講師の立場を卒業します。この先も、誰かの役に立つことを続けていきたい。たとえば、改めて美容師をはじめるかも知れませんし、教育に携わってきましたから、ティーチングのノウハウを教えることもできます。
農業にも興味があるので、もしかしたら挑戦するかもしれませんし、美容以外に目を向けるのも面白いかもしれないですね。
ちなみに、先日、小学校の同級生から連絡がきたんです。昔の友達とも会ってみたいですね。

健康寿命が70歳中盤だといわれる中、私が健康的に過ごせるのもあと10年くらいなのかなと。自己満足ではなく、人に喜んでもらえる仕事をしながら、自分の好きなことにも時間を使いたいと思っています。


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